人生 健康が一番!

日夜 マラソン 剣道に励み 整体 マッサージを行っています

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昨日、7月30日(月)午後1時半頃
中学生の仲間7人で名鉄電車に乗り、木曽川堤駅(当院から徒歩2~3分)で降り、現場に向かったらしい。

消防車・パトカー・救急車・などあわただしいサイレンの音や上空ではヘリコプターが何時間も旋回して、異様な事故に気づきました。


ここ北方町内の木曽川はいわゆる中流域。
上流犬山方面から東西に流れ川幅も広く砂利底で渇水期には大小いくつもの中州を作り、柳の木など大木もたくさんあり迷路のようにいくつもの水路を作り出しジャングルを思わせるくらいの場所で、鮎の生息に適した自然いっぱいの場所もあります。









この写真は一昨日の日曜日に撮影したものです。


本流にさえ行かなければ、水深も膝くらい程度の所が多く、子供を泳がせに来ている家族連れもよく見かけます。



しかし、この木曽川堤駅を境に大きく直角に曲がり、東西に流れていた清流は伊勢湾に向かって一気に南下、ここからは下流域。
砂地で流れは穏やかで水深も深く水質もあまり良くない
自分たちが子供の頃、今では遊泳禁止でしたが、中流域ではよく泳いだものです。

しかし、この中学生たち7人が川遊びに向かったのは下流域
何故、わざわざ水質の良くない危険な下流を目指したんだろう?
もし、電車を降り上流を川遊びに選んでいたなら…

悔やまれてなりません





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先回の治療室 朝陽対策 駐車場の直射日光除けに続き 第二弾


自宅 座敷(南西側)前のにも








そして 一番暑い2階 南側の居間

広めのベランダ 物干しを利用し 屋根を作ってみました。

驚くことに2~3℃室温が下がります



オリンピックを題材でこんなのを見つけました

金栗 四三(かなぐり しそう)は、日本のマラソン選手、師範学校教師、熊本県初代教育委員長である。
箱根駅伝の開催に尽力し、日本に高地トレーニングを導入するなど日本マラソン界の発展に大きく寄与し、日本における「マラソンの父」と称される。

旧制玉名中学を卒業後、1910年(明治43年)、東京高等師範学校(現・筑波大学)に入学。

1911年(明治44年)、翌年に開催されるストックホルムオリンピックに向けたマラソンの予選会に出場し、マラソン足袋で当時の世界記録(当時の距離は25マイル=40.225キロ)を27分も縮める大記録(2時間32分45秒)を出し、短距離の三島弥彦と共に日本人初のオリンピック選手となる。

翌1912年(明治45年)のストックホルムオリンピックでは、レース途中で日射病で意識を失って倒れ、近くの農家で介抱される。その農家で目を覚ましたのは、既に競技も終わった翌日の朝であった。

当時、日本からスウェーデンへは20日もかけて船と列車でかかり、さらにスウェーデンの夜は明るいため、睡眠にも支障があった。食事面では、当時のスウェーデンに米はなかった。その上マラソンの当日は、金栗を迎えに来るはずの車が来ず、競技場まで走らなければいけなかった。また40℃という記録的な暑さで、参加者68名中およそ半分が途中棄権し、ポルトガル代表のフランシスコ・ラザロは倒れた上、翌日亡くなった。マラソン中に消えた日本人の話は、地元で開催されたオリンピックの話題の一つとしてスウェーデンではしばらく語り草となっていた。また、マラソンを途中で止めた理由として、金栗が単にソーレンツナ (Sollentuna) のある家庭で庭でのお茶とお菓子に誘われ、それをご馳走になってそのままマラソンを中断したという解釈も示された。

ランナーとして最も脂ののった時期であり、メダルが期待された4年後のベルリンオリンピック (1916年、大正5年)は、第一次世界大戦の勃発で開催中止となり、出場を果たすことができなかった。その後、1920年(大正9年)のアントワープオリンピック、1924年(大正13年)のパリオリンピックでもマラソン代表として出場した。成績は、アントワープで16位、パリでは途中棄権に終わっている。


1967年(昭和42年)3月、スウェーデンのオリンピック委員会から、ストックホルムオリンピック開催55周年を記念する式典に招待される。
ストックホルムオリンピックでは棄権の意思がオリンピック委員会に伝わっておらず、「競技中に失踪し行方不明」として扱われていた。記念式典の開催に当たって当時の記録を調べていたオリンピック委員会がこれに気付き、金栗を記念式典でゴールさせることにしたのである。招待を受けた金栗はストックホルムへ赴き、競技場をゆっくりと走って、場内に用意されたゴールテープを切った。
この時、「日本の金栗、ただいまゴールイン。タイム、54年と8ヶ月6日5時間32分20秒3。これをもって第5回ストックホルムオリンピック大会の全日程を終了します」とアナウンスされた。
54年8か月6日5時間32分20秒3という記録はオリンピック史上最も遅いマラソン記録であり、今後もこの記録が破られる事は無いだろうと言われている。
金栗はゴール後のスピーチで「長い道のりでした。この間に孫が5人できました」とコメントした。

金栗が残したその他の有名な言葉として、「体力、気力、努力」がよく知られている。









1912年 今からちょうど100年前 彼が更新するまでの世界記録は3時間(25マイル)台だったんだ…

私が中学生の頃40年以上も前、夏の炎天下で部活をしていた時、喉が渇いてフラフラになっても 水を飲ませてもらえなかった
今では有り得ない
当時のマラソンでは スペシャルドリンクどころか水さえ飲まずに40kmを走ったのだろうと推察します。
今のようにスポーツシューズがない時代、日本の足袋は走るのに最適だったのかも…

それにしても フルマラソン オリンピック公式記録54年と8ヶ月。

粋な計らいをしてくれたスェーデンオリンピック委員会に敬意を表したい。




鬱陶しい梅雨が明けたらと思いきや、いきなり連日、猛暑日の連続。
体のだるさ倍増。エアコンもフル回転。

昨年から節電に取り組んでいるのは 寒冷紗(日除けネット)。



これが ビックリするくらいの優れもの
日除けだけではなく、風も良く通る



特に治療室玄関は東向き 明かりを取るため 全面ガラス。


夏は5時6時から朝日が入り仕事を始める8時頃には部屋の中が蒸し風呂状態が この日除けのお蔭で 冷~んやり
 
   午後になり、太陽が南に回ったら、玄関前のネットを半分上げます。

東道路側の自宅出窓も全て 斜光ネット張りました


賛成? 反対?

本音で? 建前で?
『安全』
何を根拠に『大飯原発は同じ規模の地震や津波でも大丈夫!』と、言いきったのだろう?ストレステストも出来ていないのに…
大飯原発の直下の活断層の調査さえ出来ていない現実
『工程表』のベント装置 非常用電源 堤防のかさ上げも将来の計画であり 現在は『ない』 で見切り発車

福島の事故をどのように理解しているのだろうか?


『国民の生活を経済を優先』

国民は 再稼働して便利快適を優先してほしい福島の二の舞になった時はその時と、本当に思っているだろうか?
原発への従来の利権構造や交付金は今でも相変わらず…。

『判断基準』は何なのか、誰のためなのか…

昨年 東京では18%の節電をした。
関西の電力不足の予想は、あくまでも猛暑などで最悪の場合 15%。
関西地域連合と橋下市長の要求は『この夏だけの限定』と、訴えています。
せめて 原発再稼働している間は地震・津波来ないでほしい~の神頼み
その間に再生可能自然エネルギーに政策転換してほしい

これが許容の限度だと思いませんか?


かつての
エジプト文明、メソポタミア文明、黄河文明、インダス文明など巨大文明は 不自然な社会を作り出し自然破壊して自滅しました。 しかし、それは地球規模ではまだ小規模だっが、現在の文明は地球規模での巨大文明であり、それが世界中で巨大化している。

スリーマイル チェルノブイリ 福島 それに続くものが次々と起こったら…

そら恐ろしいと思いませんか?
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