人生 健康が一番!

日夜 マラソン 剣道に励み 整体 マッサージを行っています

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9月25日

満1歳になります

今までこれと言った病気もせず、すくすくと育ってくれました















体重 2.8kg 小柄だけど名前のごとくコロコロとして元気いっぱい走り回っています。







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9月1日~10月31日までの2ヶ月間。
毎朝、6時から開催される毎年恒例の木曽川天然鮎の競り市。

地元の漁師さんたちが 前日から夜中にかけて木曽川で捕ってきた天然鮎を 木箱(セイロ)に詰め、自宅近くにある木曽川漁業組合に持ち寄って行われる。







この漁業組合 自宅から徒歩1分と、ご近所さんのうえに、競りを行うのは、業者だけではなく登録さえすれば、素人でも誰でも参加できるのが売り。

もともと早起きの自分は、毎朝 この競り市を見に行くことが昔からの日課。



環境の悪化や漁師さんの高齢化などで 漁獲量は昔と比べ年々激減はしているものの、川魚の王者 秋の味覚 天然鮎を食べなくては…




勿論、おばあちゃんにも 差し入れ
9月16日(月)祝日
今回は、尾張地区で六段以上だけの講習会
朝から台風18号接近中、東海地方直撃で、暴風雨警報発令されていたのにも関わらず、僅かな欠席者はいたが、60数名の参加者にはビックリ

午前中は『指導法』について剣道八段大学教授の講義。

☆ 道場や剣道教室等の運営方針・指導方針
☆ 指導者の心得
☆ 指導計画
☆ 指導方法
など、細部にわたり具体的に解りやすい有意義な講義でした。

午後からは、全員が六段以上60数名の豪華な稽古会。一瞬たりとも気の緩めない稽古であり、その熱気は圧巻でした。


剣道は日本古来の剣術の修練を基盤とし、『日本刀に代わる竹刀』を用いて約束された部位(面・小手・胴・突き)を如何に早く正確に打突するかを競い合う。というスポーツ性を持っていますが、日本古来の武士道精神をも基盤にしているので、試合上の勝ち負けを決する1本(有効打突)は、審判規則に明記してある通り… 打突部位に当たったかどうか等、物理的条件で争うだけではなく、刃筋が通っているかどうか、 姿勢・態度がいいかどうか(充実した気勢・適正な姿勢・残心)など抽象的な要件を大切にしており、剣道経験のない一般人には『1本』がわかりにくいかも知れません。

その他、精神性の強い 剣道の特性(礼節を尊び、真義を重んじる)を生かした修行は 生涯教育の一環として剣道に携わっていきたいし、後世にも伝えていきたいものです。

台風18号が日本南海上を北上、日本列島に接近中と、いうことで 朝から雨 予定していた行事も中止。
夕方からの剣道一般の稽古があるまで予定が空いたので、朝から おばあちゃんの見舞いに…


今日は日曜日で リハビリも休みだし、大きなイベント(孫の結婚式)もなくなり最近、本人のテンションも下降気味


ここは 一発 思い切って気分転換に…ドライブにでも連れて行こうと 急遽、外出届けを出し いざ出発


もともと 晴れ女のおばあちゃんだが、さすがに今日は台風の影響もあり 天気は期待出来ないだろうと思いながらも 大好きな山道目指し車を走らせる




不思議(@_@)不思議(@_@)
が降るどころか
青空が見え隠れするようになってきた



美濃加茂の 山之上高原で 今が旬の『梨』を購入し ご満悦











更に 山奥に 車を走らせていると ところどころで 山栗が道路に散乱








おばあちゃん 入院中であることも…普段トイレに行くのも介助なしで行くことが許されていないことも忘れ、肩・鎖骨骨折によるギブス固定された状態なのに…自分の杖を使い 拾う… 拾う







少し時間に余裕があったので、自宅にも寄り、家族でお茶を飲んでから病院に帰りました。


久しぶりに親子(母&息子)2人のデートでした。



【認知症】 何よりの薬&リハビリ だと 思い込んでおります



1日経って 楽しかったこと どこまで覚えていてくれているだろう

楽しみにしていた 内孫の北海道での結婚式。


直前(挙式6日前)に脳梗塞で倒れ、断念に追い込まれた落胆は 本人ばかりか、おばあちゃんを心から慕っていた9人の孫たちも同じでした。


そこで、孫たち一同、なんとかおばあちゃんを元気づけようと、病状の安定の期を見計らい、 病院からも外出の許可をもらい 近くの喫茶店を借り切り 2人の晴れ姿を見せてあげたくて、身内だけの手作り披露パーティーを開催しました。






病床につき 毎日パジャマ姿のおばあちゃんも この日ばかりは(転倒の危惧から車椅子ではありますが…)洋服を着せてもらい、靴を履き、 子・孫たちに囲まれ記念写真







北海道には行けなかったけど…子・孫たちに囲まれ、賑やかに歓談したり…食事をしたり…






結びに、新郎から 今までの感謝の思いを熱く語られ 涙の一時でした





3年1組
昭和49年3月卒業以来39年間。 一度も開かれたことのなかった高校時代の仲間が9月7日(土)集まりました。

45名中 男女合わせて18名の再会でした。

クラス会前日、卒業アルバムを引っ張り出してきて、予習していったにも関わらず、仲の良かった4~5人を除いて、ほとんどの人が、どこか面影があるけど、名前が出てこない

しかし、
一人一人 歓談していくうちに 少しずつ紐解いていくように 約40年前の記憶が 蘇ってくる。

40年前と言っても…

当時、太平洋戦争終戦から10年後に生まれ、高校入学当時は高度成長期まっしぐら…
日本国民、皆、中流階級という中で育ってきた我々の世代。


なかでも 一番会いたかった友人に 会えたのは大の収穫でした。



殆どが、尾張西部の自宅から通学出来る範囲のこれといった特色もない田舎の県立普通科高校に 愛知県と長野県の県境、北設楽郡東栄町出身と とんでもない所から この高校に入学。

親元を離れて 学校近くの新聞店に下宿して 土・日も関係なく 朝刊 夕刊配達をしながらの登校生活を3年間続けた彼は 自分にとっては強烈な存在でした。

仲が良かったと言っても そんな境遇のなか 部活もやらない 土日に会って遊ぶことも一度もない ただ、学校にいる間だけの付き合い。

一番に残る記憶は 自分は毎日 母親の作る弁当。
彼は、毎日 4時間目終了後 校内の購買部に走り、パンと牛乳を買うのが日課でした。

買い食いするほどの小遣いも持たない自分と、母親の作る弁当に飢える彼との 意向が合致し、良く弁当の交換をしたものでした


そんな中 一度だけ 夏休みに 新聞配達の休暇がもらえたから 東栄町の実家に帰るから 一緒に遊びに来ないかと、誘われ 彼の家に泊まりで遊びに行った思い出があります。

当時の国鉄東海道線で 豊橋まで行き 飯田線に乗り換え 何時間かかっただろうか 兎に角 山奥 凄く時間もかかったし、遠かった記憶。

彼の家に一泊したのか 二泊したのか 定かではないけど 兎に角自宅に泊めていただき、ご馳走になったり 山や川で遊んだことははっきり覚えてます。


卒業して それぞれ違った道に進み その後音信不通に…

風の頼りで 福祉系の大学 大学院
福祉関係の仕事に就いたとは聞いていたけど 39年振りに会った彼は 今や 介護福祉施設のオーナーになっていた


二次会 三次会 四次会 と 話は尽きることなく 気付いたら日付が変わっていた

9月1日 (日)

次男の結婚式を新婦の実家である北海道で滞りなく執り行われました。


遠くでの挙式ということで 新郎側の職場関係や友人は皆無(次週に名古屋で二次会をするとのこと)と、いうことで 親戚一同、総勢22名で飛行機にて北海道入り。


新郎の友人が居ないということで、若いパワーが足らない不安も裏腹に従姉妹・従兄弟達が頑張って 式を盛り上げてくれました 





挙式は 午後3時より
札幌清田区にある美しが丘のサンピエール教会
粛々とした儀式に、純白のウェディングドレス姿の花嫁がまぶしいくらい輝いていましたよ




式の後 東海地方特有の伝統的文化 『 菓子まき 』には
道産子たちは 目をまん丸くして
驚きながらも ワーワー・キャーキャー大盛り上がりでした








披露宴会場は 車で移動

緑に囲まれた小高い丘のてっぺんにあるリゾートホテル


最上階にある全面ガラス張りのパーティー会場からの景色は 今日の晴れやかな舞台に華を咲かせてくれました。



 






多くの祝辞や励ましの言葉 の他 歌あり余興あり 終焉の新郎挨拶の時には 外はすでに真っ暗に…

ガラス張りの大パノラマのはずが…と、思いきや

 サプライズで2人から、参列者への感謝の贈り物として
 
大花火の打ち上げには 全員がうっとりさせられました。





今日の喜びと、感激を忘れぬよう努力を続け、祝福してくれた皆の期待に添えるような暖かい家庭を築きあけてほしいものです。



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